『負け犬の遠吠え』を読む前に 西園寺 負け犬 歌名
前回は、阿川佐和子さんの著書を読んでの感想を書き散ら
してみたが、「一人でいること」を考えるシリーズ(と勝手に
命名)の第2弾として、今日は「負け犬」を題材にしてみたい
と思う。
最近、この「負け犬」という言葉をよく目にする。
酒井順子さんの著書『負け犬の遠吠え』で言われるところの
「30代以上、未婚、子供なし」の女性の代名詞だというが、
まだ読んではいない。
「負け犬」の私は、さっそくこの本を買うことに決めたのだが、
敢えて読む前に、雑誌やネットでみつけた感想などからの
少ない知識を元に考えたことを書いてみようかと思い立った
のだ。
さて、私(負け犬)の感想が読後に変わるのか変わらないのか
・・・・・・。
どんなに美人で仕事ができても、定義に当てはまる女性は
負け犬で、むしろ「高学歴、高収入」で自立を意識する女性
ほど負け犬になりやすいのだそうだ。
30代以上、特に30代といえば、少女時代を「男女平等」になり
始めた社会で過ごしている方が多いのではないだろうか?
そして、今「負け犬」にカテゴライズされる女性の多くは、
そういった「男女平等」の社会を自分の腕っぷし(この場合、
学力であるが)だけでちゃんと勝ち進んできたのではないかと
思う。
この「腕っぷし」だけで勝ち残れていた社会=教育の場から、
いわゆる「社会」に出るときにも勝ち残った女性が「高学歴、
高収入」の負け犬王道グループに入るのではないかと私は考え
る。
私の場合、途中までは勝ち組だった。もちろん、「女としての」
勝ち組ではない。「腕っぷし」で勝ち進んでいた。
夢ばかり見ていた少女は、その夢が叶わないものだと知らされ
るまで現実を見ようとしなかった。悪いことに、それまでの
希望はほぼすべて現実となっていたし、少女はますます「腕っ
ぷし」を磨いて、夢に近づいているつもりにさえなっていた。
就職のとき、神様はほとんど初めて、少女の夢を叶えてくれな
かった。そして少女は「なるべく希望に沿う仕事を」「やりた
いことを仕事に」という基準で転職を重ね、「高学歴、(なの
に)低収入」になった。
私はこのとき、すでに「負け」を認めている。結婚も考えた。
でも、そんなときに結婚したい女からは男性は逃げる(と逃げ
られた理由を分析したのだが、真偽のほどは分からない)。
「勝ち犬」になるためのチャンスもあったのになれなかったの
は、女としての魅力がなかったからか、それとも負けの認め方
が甘かったからか。
まずい。酒井さんが指摘される「負け犬」女性よりも、まずい
かもしれない。
さあ、これから本屋へ行って『負け犬の遠吠え』をGETするぞぉ!
そして、特に「負け犬」から脱出する方法を、読みたいと思う。
果たして、そこに私のための答えはあるのか・・・・・・?
(了)
投稿者 西園寺 歌名 : 2004年02月28日 04:10 | トラックバック